がんと共生する時代の闘病記
先日、現代ビジネスで話題になったこちらのエッセイ。
明快な文体に惹かれ、一気読みし、SNSでシェアし、思わず著者の本をポチっとしてしまった。
普通のエッセイより文字数が4倍ほど多いらしく、すごいボリュームだったけど娘が寝てる間に読了!
ちなみに出版にあたって、「死なない闘病記って売れないんだよね〜」というロックなことを言われたらしい…すごい世界だな…商業出版って。
20代でがんになり、医療保険などまるっきり入っていなかった、そして派遣から正社員登用されたばかりの著者はとにかく治療のためにお金を稼ぐのに翻弄します
治療の日々に改めて痛感していることは「死ぬんじゃないの?」という恐怖より「本当に金がかかる」ということだ。3週間に一度は約4万円弱の支払い。投与周期の関係で月2回(例えば、第1週と第4週に投与)となると抗ガン剤投与日の出費はやはり辛い。
ところが、本屋で情報を探そうとしても、美談に終わるもの、精神的なもの、最後には亡くなってしまい、家族の絆が〜〜〜〜みたいな話ばかり。
日本人は二人に一人がガンになるというのなら、もっと働いているキャンサーというロールモデルが居て良さそうなものなのに、男女問わずわたしは「ガン患者の働くお手本」たる対象を、見つける事が出来ないでいた。ネットを見ても同じキャンサーは、みんなスピリチュアルに走ったりと忙しくて、働いているお手本が見つからない。みんな口をつぐんでいるんだもの。それってなんだか奇妙じゃないの? 誰にともない恨み節。
抗がん剤治療がでがんを小さくし、外科手術をしても、その後も続く予防のための抗がん剤治療…。恋人との仲もギクシャクしはじめます。
彼もわたしも治療の長さに心底ウンザリしていた。これはもう「イベント」じゃなくて「生活」であり「日常」だ。今まではどこかでこの病気を“〝祭り”〟的にとらえていた側面が正直あった。
でも結局、その恋人が二股をかけていたことが発覚!
最後は一人で治療を乗り切り、見事がんを克服します。
著書の中で彼女が訴えるように、確かに「がんサバイバー」の声って表層化しない…。特に若い人。私自身も若年性乳がんという言葉に、イコール進行が早い…「余命一ヶ月の花嫁」「112日間のママ」「はなちゃんのみそ汁」…などの話を思い浮かべてしまった。
でも、がん=死じゃなく、上手に付き合っていくという治療も可能になった時代なので、やっぱりこういう声は必要だな、と思いました。学ばせてもらったこと多かったです。
この後、筆者は会社を辞め、台湾に留学し、そして、帰国して派遣で働き始めます。その際に「がんで闘病してた」っていうと連絡がぱたっと来なくなったりしたそうです。
誰だって拒まれることは辛い。でも声を出さなければ、結局社会全体が「キャンサーが隣に居ること、一緒に働くこと」に慣れない。先んじて察してくれることは、まずない。みんなエスパーじゃないから。わたしがかつて職場で言われたあれこれだって、未経験と無知がそうさせるなら、やっぱり誰かが言わなくちゃ。だって、早期発見で治る病気です。と喧伝するなら、治った後も同じ社会でみんなで生きていくんでしょう?
医療は技術を伸ばして、ガン患者の状況は10年前とは全く違う。治る率も、治療法も、抗ガン剤も、病院も。なのに「ガン=死」と信じ込んでいる人たちが世の中にはこんなに居て、実際予後を順調に生きている人の方が肩身が狭くなるとはどういうこと。これって十分、マスコミが作ったガン・イメージの弊害でしょ? なおもその前例にならった売れ線を踏襲したいというのかしら。
ちょっと今回はブックマークした箇所が多すぎて引用ばかりですが、早逝した小林麻央さんのニュースがまだショッキングではありますが、やっぱり、がんについての知識、自分でも身につけておかなきゃな…そして、サバイバーって割と身近にいるかもな…という思いを新たにした次第。