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どーもおはようございます。かんべ(@minorikambe)です。

最近あった衝撃的な出来事なんですが…
次回作の目次案を作って編集さんと打ち合わせしてたら
「目次案、ぶつ切りしすぎです」って注意されてしまいました。

MBAでは最初に「クリティカルシンキング」という思考法の授業を取ることを推奨されていて、そこでMECE(漏れなくダブりなく)という考え方を学ぶので、
私としてもそこを遵守し、漏れなくダブりなく、ぶつ切りした目次案を作っていったわけで…

「いいんです、ダブっててもいいんです。お話として面白ければ」

って言われて、なんかこう、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けまして。
そうか…クリティカルシンキング=絶対善だと思っていたけど
読者が求めるものはそうじゃないんだな…と。

で、その時にこの本を教えてもらい、読みました。

多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、世界中の市場で発生している「正解のコモディティ化」という問題です。

どうも、MBAで学ぶような、分析処理の能力をみんなが身につけた結果、
供給過多になって、レッドオーシャン化してしまっているらしい。

今日、多くのビジネスパーソンが、論理的な思考力、理性的な判断力を高めるために努力しているわけですが、そのような努力の行き着く先は「他の人と同じ答えが出せる」という終着駅、つまりレッドオーシャンでしかありません。そしてまさしく、多くの企業はこのレッドオーシャンを勝ち抜くために、必死になって努力しているわけです。  論理思考というのは「正解を出す技術」です。私たちは、物心ついた頃から、この「正解を出す技術」を鍛えられてきているわけですが、このような教育があまねく行き渡ったことによって発生しているのは、多くの人が正解に至る世界における「正解のコモディティ化」という問題です。教育の成果という点では、まことご同慶の至りという他ありませんが、個人の知的戦闘能力という点ではこれは大きな問題となります。  なぜなら、過剰に供給されるものには価値がないからです。

では「他の人と戦略が同じ」という場合、勝つためには何が必要になるでしょうか?  答えは二つしかありません。「スピード」と「コスト」です。実は「論理と理性」に軸足をおいた多くの日本企業が、長いあいだ追求してきたのがまさにこの二つでした。

ところが、売れているよその国のものを猿まねしているだけでよかった時代は終わり、
日本がトップになってしまうと、今度は何を作ったら良いのかわからなくなってしまう…そういう時代が来てしまいます。
驚くことに、昔のソニーはこういうことができていた↓

よく知られている通り、ウォークマンという製品はもともと、当時名誉会長だった井深大の「海外出張の際、機内で音楽を聴くための小型・高品質のカセットプレイヤーが欲しい」と言い出し、このリクエストに応えて開発部門が作製した、一品限りの「特注品」でした。これを同じく創業経営者の盛田昭夫に見せたところ、盛田もこれを大いに気に入り、製品化にゴーサインが出されることになります。  当時のソニーはすでに世界的に名の知られた大企業でしたが、そういう企業において、これまで存在しなかった「ポータブル音楽プレイヤー」という製品の開発が「ねえ、これ見てよ」「おお、いいですね」で決まってしまったわけです。膨大な市場調査とマーケティング戦略を記した分厚い商品開発戦略提案を、何十人もの役員で審議しながら、さっぱりヒット商品を生み出せない昨今の日本企業とは大違いです。

現場からは「そんなものは売れるわけない」と大反対の声が上がったそうですが、
結局、トップのごり押しで進めたこの商品は大ヒットしたわけです。

現在のように変化の早い世界においては、ルールの整備はシステムの変化に引きずられる形で、後追いでなされることになります。そのような世界において、クオリティの高い意思決定を継続的にするためには、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められることになります。

ミンツバーグによれば経営というのは、「アート」「クラフト」「サイエンス」のバランスによって成り立つのですが、この三つの要素のうち、「アート」だけはどうも言葉として説明しづらく、「サイエンス」や「クラフト」に比べると劣勢になりがち。
そのため多くの企業で「アート」がないがしろにされてきました。

アートを担う創業者が、会社を育てる過程でサイエンスを担うプロ経営者を雇い、しばらくの間は蜜月が続くものの、やがてサイエンス側に会社を牛耳られてしまうという構図は、アップルにおけるスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの関係を持ち出すまでもなく、よく見られることです。

自分もデザイン畑に少しいたので、とってもとっても頷いてしまうところが多いのですが、
「ちゃんとした見た目」の紙媒体を作ることに力を注いでいた時期がありまして、
上司の作ったへっぽこパワーポイントを何千枚、何万枚と直してきたのですが、
なんていうか…伝わるものって、数字的な根拠もだけど見せ方が上手いし、
無駄なオブジェクトがないんですよね…。
で、その先にあるビジョンがとっても明確でドキドキワクワクする。

この後も考察と提案が続きますが、非常に興味深かったのは、オウム真理教について言及されていたこと。

当時、受験エリート「なのに」こんな犯罪に手をそめて…
という文脈で語られていたニュースですが、筆者はむしろ
受験エリート「だからこそ」の犯罪だと指摘。

オウム真理教の内部の階級システムはとってもわかりやすく
こういう修行をこれくらいしたら上の階級にいける、という当時の受験システムと同じで
エリートたちには馴染みが深かった。めっちゃ「サイエンス」に偏った集団だったわけです。

オウム・シスターズの舞いを見たとき、あまりの下手さに驚いた。素人以下のレベルだった。呆気にとられながら、これは笑って見過ごせない大切なことだ、という気がしてならなかった。オウムの記者会見のとき、背後に映しだされるマンダラがあまりにも稚拙すぎることが、無意識のままずっと心にひっかかっていたからだ。(中略)  
麻原彰晃の著作、オウム真理教のメディア表現に通底している特徴を端的に言えば、「美」がないということに尽きるだろう。出家者たちの集う僧院であるはずのサティアンが、美意識などかけらもない工場のような建物であったことを思いだして欲しい。
宮内勝典『善悪の彼岸へ』

後にオウムの信者たちと語りあって、かれらがまったくと言っていいほど文学書に親しんでいなかったことに気づかされた。かれらは「美」を知らない。仏教のなかに鳴り響いている音色を聴きとることができない。

このわかりやすいオウムの階層とコンサルティングファームの共通点も筆者は挙げていますが、
この変化が進行する現代で、エリートとして適切な意思決定を行うために、
「真・善・美」つまり美意識を高める必要があるため、
世界のエリートたちは今美意識を高めようとしているのだそうです。

エリートというのはシステムに対して最高度の適応力を持っている人たちです。この「システムへの適応力」こそが、彼らをエリートたらしめているわけですが、ここに問題がある。「システムに良く適応する」ということと「より良い生を営む」というのは、全く違うことだからです。

うーん!!!!深い!!!
けど、MBAホルダーなのにクリティカルシンキング的な目次案をばっさり切られた私としては
納得できる箇所がありまくり…なのでした。

そうなんだよねえ…面白いもの、欲しいものって数字で裏打ちされたデータだけじゃなくて、
見た目とかストーリーとかそういう裏打ちがあるからなんだよねえ…。

というわけでこの本、超オススメです。

あと、真・善・美といえば、こちらの本に深く追求されていて(漫画)
読むたびに心が熱くなります。

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